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旅順一日観光(旅順博物館)


旅順博物館

 旅順博物館は1917年 4月大連市旅順口区のレーニン街に創立された中国歴史芸術性博物館です。日本軍が1905年大連侵略後、1916年に沙俄未建設上げの軍官クラブの基礎の上で改造したものです。近代洋式風格もあり、また東方芸術装飾特色もあります。当館の初名は「関東都督府満蒙物産館」で、1918年11月「関東都督府博物館」と、1919年「関東庁博物館」と、1934年「旅順博物館」と改名されました。1945年10月、蘇連紅軍が接収管理し、「旅順東方文化博物館」と改名し、1951年2月1日、博物館宿舎及び館所蔵の 20637件文物、7700冊図書を中国政府に引き渡しました。その後、1952年12月「旅順歴史文化博物館」と改名され、1954年「旅順博物館」と定名し、また旅順日俄監獄旧跡と万忠墓2つの展覧場所を管轄範囲にしました。当館には館蔵文物3万数件があります。その中、1級蔵品45件があり、貴重品としては:銅器呂鼎(“呂”つまり西周穆王司寇呂侯のことです。)で、内の底に5行44字おの銘文が鋳造されてあります。前漢時期馬蹄形の金、元代劉秉謙の“竹石図”、新疆で出土された南北朝〜唐代までの 9体のミイラと絹織物、絹絵、陶俑、貨幣など漢、唐文物、およびインドガンダーラ石刻と日本絵画など外国文物などがあります。当館は二つの陳列区に分け、3101件の文物が展示されています。《歴史文物専題陳列》には、青銅工芸、彫刻、漆器、エナメルと硯、陶磁器、書道と絵画、仏教芸術などがあり、《大連地方歴史文物専題陳列》には、大連市新石器時代から清朝までの歴史文物があります。それ以外にまた、《新疆出土文物》と《国内外貨幣》など専題陳列もあります。当館はまた《大連出土文物展》、《兵器発展史》、《青銅工芸》、《国際贈り物展》、《歴代芸術展》、《齊白石の絵画展》、《徐悲鴻の絵画展》、《米帝侵華罪行展》など専題展覧と移動展覧を開催しました。白玉山の元の名前は"西官山"、光緒6年(1880年)、李鴻章が醇親王(光緒帝の父)と旅順口を視察する時、旅順には「黄金山」があるため、「白玉山」もあるべきですと言いました。それより"白玉山"と呼ばれてきました。(山石が玉のように真っ白いため"白玉山"と呼ばれたと言う伝説もある)山頂に、白玉山塔と110mに達するテレビタワーと海軍兵器館があります。山を曲がりくねった南北2本の道路があり、山の東坡側に、山頂に直行する496級であるセメント石段が1本あります。道中にあずまやがあって休憩もできます。南麓側には、1987年5月15日に竣工された山頂に直行する空中ロープ・ウエー(高さ92 m、直線距離378 m、囲長802 m)があり、山頂で旅順口軍港と市街区の風景を一望に観覧できます。1985年、旅順口区政府より塔名を"白玉山塔"に変えられました。海軍兵器館は白玉の山北側に位置し、高さ110 mである旅順テレビタワーの下にあり、展示面積が2000平方mであり、1988年7月に建てられ、元の中央軍事委員会副主席劉華清さんが館名を書きました。日俄戦争後、日本軍国主義のより建造された"白玉神社納骨祠"庭内であります。白玉山古砲は、白玉山南南道中腹に位置し、1881年、清朝がドイツより購入したカノン砲で、口ぶりが210cmです。日俄戦争中で、沙俄軍隊は旅順口の要塞の防御を固めるため、トラ尾西鶏冠山の砲台から、この大砲を老鉄山頂まで運びましたが、1908年2月、日本軍により白玉山に置かれました。

詳しくは 大連観光案内処 をご覧ください。
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